Day12.適応の話

先日、ある社会人の方とお話しさせていただいた時に、その人がこんなことを言っていました。

 

「人間は良くも悪くも、環境に適応する動物」

 

確かにそうだなと思いました。

 

過去を思い返すと、僕もそうでした。

中学受験に失敗して第4志望の中学校に行き、はじめはこの人たちとは違うと思っていたものの、だんだんとその感覚は薄れ、

 

大学受験に失敗し、滑り止めで受けた大学に入学することになっても、1年くらい経ったときには絶起して、ラーメンを食べに行ってバイトに行く、そんな大学生Aになっていました。

 

今のは悪い適応ですが、良い適応もありました。

 

周りの人たちが様々な事に自分からチャレンジしていて、しかもそれを楽しんでいるような環境に飛び込むと、自分もそれに影響されました。

 

住めば都とはよく言ったものです。

 

ただ、世の中には悪い適応の方が多いのではないかなと思います。

良い適応ができる環境に入るには、もちろん運もあると思いますが、それなりの努力とか、勇気とか、自己決定がいる気がします。

 

さらに僕は適応して慣れると、慢心する癖があります。

 

4月から社会人になりますが、社会人Aにならないように自分がどんな適応をしてきたか、見つめる時間も取りたいなと思います。

Day11.錯思の話

ジャムがよく売れるのはどちらの店でしょうか。

A:6種類のジャムをそろえている店
B:24種類のジャムをそろえている店

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消費者行動の研究によると、Aの店の方がジャムがよく売れるそうです。
調査によるとAの店では29.8%、Bの店では2.8%の人が購入したとのことです。

 

これは選択肢過多効果というのですが、選択肢が多くなればなるほど迷ってしまう現象のことです。

理由としては、多くの選択肢から1つを選択するのは時間と労力がかかること、
また「これを選んでいなかったらどうなっていたのか」と想像の世界で後悔を引き起こすためだそうです。

 

このサイトに載っているのですが、なかなかおもしろいものが載っています。

錯思コレクション100 Collection of Cognitive Biases

 

自分の行動や考え方が正しいのか、不安になって確認したくなることがあります。
他者と共有することもありますが、人間の行動については多くの研究がなされており、様々な理論もあります。

 

自分を客観的に評価するためにも、様々な理論を今のうちに知ることもいいのかなと思います。

 

先日の「幸せとお金の話」でも書きましたが、若い人の方が知識を重視する傾向にあるそうです。

僕はいざとなった時に頼れるのはデータと理論だと思っています。(これは人それぞれだと思いますが)

 

そういう考えを持っているのも、その理論に基づいているのかもしれません。

Day10.さみしい話

今日は少しいつもとは違う内容です。

 

今日、大好きなラーメン屋さんが閉店しました。
僕は2年前くらいに引っ越してきた時から、そのお店が大好きでした。

 

僕は大学2年の夏からボランティア活動をしていて、その運営に関わっています。

イベントの前日は、文化祭の前日みたいな感じです。
みんなひっきりなしに動いて、あれがない、これはどこだとドタバタします。
最終ミーティングが終わった後、僕は必ずと言っていいほどそのお店に足を運んでいました。

 

去年の10月頃に閉店することを知り、まだだまだだと思っていましたが、1月に入って実感がわき、今日を迎えました。

 

 

最終日とその前日(昨日と今日)は大雨でしたが、店の前に行列ができ、今日はもう麺がなくなってしまう。
しかし店長に一言挨拶だけでも、という常連さんたちが行列に並んでいました。

 

僕も並んで挨拶をしたのですが、友達との帰り道、なんだかさみしくなりました。

 

 

”さんじゅう丸”というラーメン屋さんなのですが、僕にとってはそこはラーメン屋さんというよりも”さんじゅう丸”そのものでした。

 

帰り道、5分程お互い無言で歩いていて、僕が一言、

「なんかさみしいですね」

 

というと、

 

「せやなー、明日開いてないのが信じられん」

 

「なんか、ラーメン食べたいって思ったらさんじゅう丸行ってた気がする」

 

「ラーメン屋食べたいというより、さんじゅう丸食べたいって感じやったな」

 

「なんか、卒業式の日、最後の道で友達と別れて、一人家に帰る時みたいな、そんな感じやな」

 

こんなことを言いながら、帰ってきました。

 

僕の大学生活を支えてくれたお店には、とても感謝しています。

 

と同時に、こんな形で人々の心に残ることができたらどんなに幸せだろう。となんとなく思ったりしました。

Day9.機嫌の話

機嫌は元々は”譏嫌”と書き、譏り(そしり)嫌うという意味で使われていた言葉だそうです。

つまり世間が嫌うこと、という意味ですが今では意味が転じて違う使われ方をしています。

 

機嫌が悪くなることは誰しもあると思います。

 

なかなか渋滞が進まない時、寝坊した待ち人を待っている時、冷蔵庫を入れていたプリンを勝手に食べられた時、

 

何か自分の思い通りにならなかった時に機嫌が悪くなることは間違いなさそうです。

 

そういう時には何が原因があって機嫌が悪くなっているので、諦めがつきやすくまだ説得の余地もあるのですが、

 

寝起きが機嫌が悪いという人がいます。

 

僕もそうなのですが、これは本当にどうしようもありません。

 

しかも、朝からイライラして、いいことなんてひとつもありません。

 

どれだけご飯がおいしくても、でてくる麦茶が死ぬほどまずい、みたいな感じです。

 

しかも朝なので、まともな判断力や思考力もありません。しかも寝ぼけている。

よく仰天ダイエットででてくるカロリーのお化け、マヨバター丼くらいたちが悪いです。

 

なので僕は朝、あまりLINEをしたり会話したりしないようにしています。

 

思えば日常生活も自己理解→行動変容の繰り返しなのかもしれないと思います。

 

しかしこれは自己理解と、行動変容のどちらも正しく行わないと、成果としては現れないと思います。

 

まずは自分を正しく理解せるところから始めていきたいと思います。

 

 

Day8.幸せとお金の話

 「お金がたくさんあれば幸せというわけではない」

とよく言われますが、そういうわけでもない気がします。

 

人生にはある程度お金も必要ですし、あるならあるだけいいと思います。

 

先日ゼミの最終回で先生が言っていたことなのですが、「社会情動的選択性理論」というものがあるそうです。

人間は無意識的に人生の残り時間を計算していて、年をとればとるほど情動的な選択(すぐに満たされるような選択)が増える。
逆に若い人は知識などの比較的長期にわたって活用されるものを選択する。というものです。

 

しかも、調べてみるとできるだけ自分に近い人に向けてそれが起こるそうです。

 

おじいちゃんがムシキングやらせてくれたのも、仮面ライダーのベルトを買ってくれたのも、おいしいものを食べさせてくれたのも、今考えたらそういうことなのかもしれません。

 

若い人はセミナーに行ったり、読書したり、資格の勉強をしたり、たしかにそうだと思わされることが多くあります。

 

年をとればとるほどお金を使うときに情動的な選択をするのはそうかもしれないのですが、さらに年をとると自分に対してお金を使う機会が減るんじゃないかと思います。

 

人は自分にお金を使うよりも、他者にお金を使う方が幸せを感じるそうです。

 

こう考えると、おじいちゃんになって孫に誕生日プレゼントを買ってあげて渡すことは、どれだけ幸せなのでしょうか。

 

もしかしたら計り知れないほどかもしれません。

そう考えると、この後の未来も悪くないかもって思います。

 

僕はよくプレゼントで悩みますが、やはり幸せな悩みなのでしょうか。

Day7.三日坊主の話

僕は三日坊主です。

 

買ったランニングシューズとジャージを1度しか使わず、押し入れに眠らせてしまう。そんなのび太くんのパパみたいなことを日常茶飯事的にやっています。

 

ちょうど今も、目の前に部屋には自粛期間中に買ったキーボードが置かれています。

昔から夏休みの宿題は前日にやるし、洗濯して乾いた服を畳まずに放置していました。

 

 

最近は少しずつ洗濯物も畳むし洗い物もするようになっているのですが、それでもまだめんどくさがり屋です。

 

1年ほど前まで、めんどくさがりな性格を直したい。と思っていましたが、

最近はそう思わなくなりました。

 

めんどくさがり=ダメ

と簡単に決めつけることは、

値段が高い=おいしい

と安易に決めつけることと同じであるような気がしています。

 

最近僕は捉え方を少し変えて、

 

めんどくさがり屋なのにも関わらず洗濯物を畳んで、しかもそれをたんすにしまって、なんてえらいんだろう。

 

と思うようにしています。

 

そうすることでその日、その一瞬だけでも、幸せになれる気がしています。

 

小さなことでも幸せを感じられるのは、めんどくさがり屋の特権じゃないでしょうか。

 

今日でブログをはじめてちょうど1週間、誰かに見てもらうために書いている訳では無いですが、意外に沢山の方に見ていただいて、とても嬉しく思っています。

読んでいただいた方、ありがとうございます。

 

今のところこのブログを書いている時間は、僕にとって幸せです。

 

今日はもう幸せを感じたので、乾いた洗濯物を畳むのは明日にとっておこうと思います。

Day6.がんばりと結果の話

”成功”と”失敗”
”良い”と”悪い”
”勝ち”と”負け”

 

これらはどのように決まるのでしょうか。

 

努力の量、かけた時間、費やしたお金、気合い、運…

様々あると思いますが、気持ち(想い)の強さだという意見もあります。

 

よくテレビで高校球児の感動エピソードがドキュメンタリーのような感じで流れていますが、毎日朝から晩まで練習して、家族も総出で協力して、勉強と両立して。

 

テレビとはいえ、なんだか美化されているような気がします。

 

努力したから成功した。

 

果たして本当にそうでしょうか。

 

もちろん、想いが強ければ強いほど努力できるというのはわかります。

 

高校の担任がはやく志望校を決めなさい。というのも納得できます。

 

しかし、想いが強く、努力の量が多ければ成功するのでしょうか。

 

日本で1番甲子園優勝したければ、それは叶うのでしょうか。

 

そんなわけないやん。

と誰でも思うでしょう。

努力したからといって全てが成功するわけではない。

 

必死で練習しても負けることはあるし、どれだけ勉強しても受験に落ちることもあります。

 

始める前は、みんなそれをわかっています。

 

しかし、終わったあとはどうでしょうか。

 

失敗したのは練習が足りなかったからだ、あの休憩時間がなければ。

 

どこかで見た漫画にこんなことを言っている人がいました。

 

「気持ちの強さで勝負が決まるって言っちまったら、じゃあ負けた方の気持ちはしょぼかったのかって話になる。」

 

正しい評価をすること、そしてその理由を客観的に見つめること。

 

簡単ではないと思いますが、自分を認める1歩目なのかもしれません。